手差し活版印刷機、待望の復活!
大量印刷物生産の原点、活版印刷の展示を試みて早3年目を迎えようとしています。
この度はついに、手差し印刷機の復活をご報告できる運びとなりました。
口コミやホームページを見ていただいた方々が、「この手差し印刷機はさすがに全国どこにも動いている所は無いでしょう。動いているところを是非見てみたい。」とのお言葉を支えに、会社内外の皆様のお力添えを持って、2012年6月20日ついに胴が回り、紙を
電力でモーターを動かし、作動させる事も可能ですが、ゆっくりと手動で動かす事により、細部の動きを少しづつ見ることができます。
今回は印刷中に紙が送られていく動作を掲載します。
実物も是非見学にお越しください。(*無料)
最後の方には、なつかしい活版輪転機の写真も掲載していますので、よろしければ最後までご覧ください。
(写真上)この機械が作られた年は定かではありませんが、昭和20年~30年前半のようです。
ストップシリンダー(停止円筒式活版印刷機)
メイドインジャパン 杉本鉄工所・大阪市城東区。
(写真上)紙を準備します。
(写真上)紙を1枚、第1ローラーの下にあるアテ板(位置決めの板)まで滑りこませます。
第1ローラーの上に第2ローラーがあり、紙はこの大小2本のローラーをSの字を書くようにぬけていきます。
(写真上)第1ローラー下のアテ板まで紙がきちんとあたっている様子。
(写真上)紙の乗っている板が少しずつ上昇します。(写真下)
(写真上)胴(第1ローラー)に付いている爪(くちばしのような形)が開いて紙の端を少し乗せ、爪とローラーで紙端を押さえ引っ張ります。
(写真上)爪で紙端を押さえながら、第1ローラーが回り、紙を巻いていきます。
(写真上)第1ローラー上部からの写真。
爪で紙を押さえ、ローラーに巻き付けながら時計回りに紙を引っ張ってきました。
(写真上)写真左側の第1ローラーと右側の第2ローラーの接点で第2ローラーの爪が第1ローラーから紙をタイミングよく受け取ります。(写真下)
第2ローラーが爪で紙を押さえローラーに巻き付けながら引っ張る様子。(写真上下)
*第2ローラーは時計と逆回り。
この時紙はちょうど2本のローラーの間をS字型に通りぬけます。(写真下)
紙の端を少しローラーに爪で紙を押さえている様子を、「紙を
(写真上)写真左側の竹串で、写真右側の第2ローラーに巻き付いている紙を迎えにいきます。
*写真中央に見えているのは糸で、竹串が右側に下りきった時、紙を竹串の上に乗せる役割をします
(写真上)竹串が降りて来るまで、第2ローラーと糸は動きを止めて待機します。
*糸は凧糸を使用しています
(写真上)糸と竹串が交差して竹串が下がり切るまで、紙はもう少し待機。
(写真上)竹串が下がりきりました。第2ローラーが再び動き始め、同時に紙を乗せて糸も動き出します。
(写真上)糸に乗った紙が、竹串の上まで運ばれてきます。
(写真上)竹串が上昇し、糸の間をすり抜けて紙をすくい上げます。
(写真上)竹串が立ってきました。
(写真上)こうして印刷された紙が次々やってきます。
以上が活版手差し印刷機を紙が通る仕組みです。
*徐々に印刷周辺機器の性能が向上し、自動で紙を1枚1枚送り込む機械(フィーダー)が開発され、手で紙を差し込む必要性は無くなっていきましたが、基本の技術は現在のオフセット印刷の基になっています。
紙を手動で送り込む活版印刷が見学出来るのは、全国でも寿印刷だけです。多分…。
現在も動く、手差し活版印刷機をご存じの方はぜひご一方ください。
近日、版とインキをセットして試し印刷を行います。お楽しみに。
昭和20~40年代、寿印刷・庄内工場(大阪府豊中市)ではA倍判の手差し活版印刷機が6機、昼夜を問わず稼働していました。(国道176号線に面した庄内工場 写真下)
A倍判活版手差し印刷機(写真下)
また本社工場(大阪市・西淀川区)でもA倍判からA四切判の手差し活版印刷機が15機稼働していました。(写真下)
そして昭和30年代後半、寿印刷・三津屋工場(大阪市淀川区)に活版輪転印刷機が2機導入され、高度経済成長と共に大量印刷の時代に向かい、オフセット印刷、カラー化へと進んでいきます。
1/1色活版輪転機・東京機械(写真下)
活版輪転機の版がセットされた状態(写真下)