日本硝子活字製造所

前回は「硝子活字工芸社」の記事を掲載しましたが、硝子活字について調べる中で「日本硝子活字製造所」の存在が明らかになりました。

硝子活字工芸社は、市外 下落合40番地(現在の新宿区)
日本硝子活字製造所は、市外 南品川(現在の品川区)
にあったようです。

印刷雑誌 第十二巻 第五号 五月号 1929年(昭和4年発行)より

(下記 旧字体を新字体に直しています)

雑誌節用

硝子活字が出来上がる迄(印刷材料新報 第二百二十一号)
市外南品川所在の日本硝子活字製造所の参観記である。硝子原料たる石英、曹達そうだ等を炉で溶解し、小い鉄棒の先でその一塊を引出し、鋳型の中に押してペダルを踏むと硝子が型に流れ込み冷えて固化する。この時鉄棒から折取つて仕上機械に掛けて、側面と尻を綺麗に削るのだが、側面を削る機械は三枚の鉄円板から成つており。其の中央の板の板の穴に活字を差込んで、両側から別の二枚の円板を回転して研磨する。此時研磨板からは水と金剛砂とを吹出し、見る間に二側が仕上げられて、同様に残る二面を研いで、今度は尻を削る。此の研磨板は水平になつていて、活字の尻を上にしてこの下において削るのである。一日二千五百本を仕上げ得るそうである。目下は手鋳込に依つているが、近く自動鋳造機が出来るそふである。

今回の文献は硝子活字の製造工程が詳しく書かれていて、当時のご苦労・工夫がよくわかる内容でした。

ご協力いただきました皆様に感謝申し上げます。

大阪市立西淀川図書館
大阪市立中央図書館
東京都中央区(財)印刷図書館

この雑誌節用には他にもこんな記事がありました。

板紙の規格統一で製函業者大打撃

日本板紙業同業会から突然、規格統一の発表があり、昭和4年3月1日より施行するとの通告があった。一束の重量・寸法などを統一する内容で、これに反発した東京紙函製造同業組合では組長長田藤五郎氏を同業の代表として昭和4年2月23日上野静養軒にて、板紙代表北越製紙の田村文吉氏と折衝したが認められず止むなく顧客側に対しては一割五分の値上げを通知した。

こちらも時代を感じる内容の記事ですね。