明治時代から考案されていた ガラス活字
ガラス活字が、『いつ、どこで、誰が、どのように、なぜ』造られたのか。
明治時代にすでに実用化に向けて研究されていた資料を見つける事ができました。
印刷雑誌 第八巻 第四号 五月号 1898年(明治31年発行)より
(下記 旧字体を新字体に直しています)
弾力ゴム及びガラス製活字これまで 金属活字の代わりにガラスを使って活字を作ることを研究する者も数多くあった。なお 今日に至っても進んでこの方法に向かって研究をやりとげようとしている これはガラス活字を実際に使用できることを証明したわけで このためその研究は一層その度を加えた
ただしガラスで造った活字は到底印刷に必要な圧力に耐えられるだけの性質に乏しい。これはつまりガラスのガラスである証拠であって その性質がもろいことからこのような心配を無くそうとして ある人が一つの新しい有益な発明をした。この発明ではまず活字の本体を弾力ゴムもしくは人工象牙つまりセルロイドで作りこれを枠に入れてしめつけその上にガラスの活字を置くこと つまりゴム製の台に印刷面の活字を固着させたものがこれで かつ枠をしめるにあたっては活字をこわさないようにするためガラス活字はゴム製の台よりも少し小さくしてあるから活字は枠に密着せず 枠をしめても圧力のために活字がこわれる心配もない。
もとよりガラス製活字はその費用が安くその上金属のようにすりへらないから長期間これを使ってもその印刷物は鮮明で このような新しい発明の活字は 印刷界にとっては有益なこと疑うべくもない
この方法によって三台の機械を使って一日に十万個から十二万個の活字を造ることができる しかし普通の活字では最も新しい方法によっても日ごとに五万個以上を造ることはできないとのことである
明治時代、日本の活字の父 本木昌造が鉛活字を確立させていく中で、鉛毒や摩耗の問題を取り除き、いかに安価に大量生産できるかを研究し、創意工夫を続けていた人々がいたかを改めて知る事ができました。
歴史上の人物として有名人でなくても、ものづくり日本を脈々と伝えてきた人々でしょう。
ご協力いただきました皆様に感謝申し上げます。
寿印刷(株)OB小畑国雄様