大阪電気学校の卒業アルバム 昭和18年・19年度版
寿印刷の本社工場社屋は、戦後間もなく大阪電気学校の校舎の一部を買い取り、現在もその木造校舎が残されています。この事実は2011年7月23日発行の読売新聞朝刊にも記載されたとおりですが、2011年5月15日に人気ブロガー新之介さんの「十三のいま昔を歩こう」で紹介いただくまでは、社内でもウワサ程度の事でした。会社としての使用目的で建物を買い取ったのですから、当社所蔵の学校当時の資料や写真はなく、図書館で調べても数行程度の記載の資料しか発見できていませんでした。
しかし2012年9月、大阪電気学校の卒業アルバム発見に至りました。
発見までの詳細は下記のとおりです。
「大阪電気学校当時の山崎猛一校長のお孫さん」がお爺様の遺品整理を気にしながら長年手を付けられずおられました。その間もインターネットで大阪電気学校の事は検索されていましたがこれといった内容はのっていませんでした。2012年のお盆、久しぶりに大阪電気学校について検索してみたところ、新之介さんの「十三のいま昔を歩こう」のブログ内に記事を発見。お盆という事もあり、「そろそろ遺品整理をしてほしい」という啓示と捕らえ、弊社に連絡をくださいました。実にブログ掲載から1年4ヶ月後の事になりますが、戦後67年、社屋が学校建物であった事は公然の秘密のような扱いでしたので、ブログ記事発見もお爺様からのメッセージのように思えたそうです。
2012年9月21日、校長先生のお孫さんが「卒業アルバム」(昭和18年発行と19年発行の)2冊と「至誠」という表題の文集(年刊誌 第1号昭和10年発行から第8号昭和18年発行)7冊を持って来社されました。
卒業アルバムには、年齢は17歳頃で詰め襟の学生服。足にはゲートルを巻いた学生さんが機械の実習をしている写真や弁論大会・柔道大会・卓球大会・職員室・先生方の集合写真・100名以上の学生さんが一斉にお辞儀をしている朝礼の様子など、当時の学校行事の写真をたくさん見る事ができます。
文集にも当時の様子が克明に書かれていて、時間を忘れて見いってしまう物ばかりでした。
空襲で焼失してしまった写真の多い時代、貴重な思い出の品であることは間違いないでしょう。
昭和20年前後の各種工業学校が優秀な人材を社会に送りだし、戦後の経済成長に与えた影響は計り知れないものだと思うと同時に、志半ばで戦地に出兵された方々の無念を思うと残念でありません。
戦争が終わり、大阪電気学校の卒業証書を受け取りに当地を訪れた方がおられ、昭和30年まで学校跡地にお住まいだった山崎校長先生は卒業アルバムの名簿をたよりに授与されていたそうです。
当時の学生さんは現在80歳をこえていらっしゃいますが、学校関係者のご子息やお孫さんが当社を訪ねて来られる事は万感胸に迫ることでしょう。